・琉球が奄美制圧にこだわった理由
硫黄鳥島は、地図で見てもらうと分かる通り、
沖縄本島の北に位置する火山島です。
ここは、古くから硫黄の産地として知られ
すでに1372年の明実録には、名前が出てきます。
察度王の時代以前には、人が住みつき、
それと同時に硫黄の採掘が行われました。
実は中国では、硫黄は殆ど取れず、
戦争で必要な火薬の原料として、
硫黄鳥島の硫黄は必要不可欠でした。
実際に、琉球は増減はあれ、
1372年から琉球処分の1879年まで、
貢物として送り続けました。
ここで、取れた硫黄は、泊港に運搬され、
崇元寺の西にあった硫黄蔵に納められていました。
第一尚氏の頃から、琉球は奄美や喜界島の
制圧に多大な戦費を費やしていますが、
その理由としては、硫黄鳥島の安定統治があります。
1609年の薩摩侵略以降、
琉球は、本島以北の領地を失いますが、
進貢貿易に不可欠の為に硫黄俊島だけは、
琉球王府に残されています。
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