☆琉球の使節 北京で中国人と大喧嘩

尚巴志スピリッツ

2015年03月31日 00:21

後には守礼の国と称えられ、大人しい温厚な人々になった
琉球の人も、15世紀は戦乱の真っ最中で、
凶暴で勇敢な人々と周辺国に恐れられていた時期があります。

西暦1448年1月、正月の挨拶を述べる為に、
北京に上った使者謝花ですが、彼の従者は荒くれ者が多かったのか
四川長河の西の番人達と会同館(外国人用ゲストハウス)の門外で
大喧嘩をします。

この喧嘩は、重傷者や死者が出る大騒ぎになり、
役人は英宗帝に上奏、皇帝の命令で首謀者は逮捕され、
禁裏を騒がせたとして処刑されました。

通常は、このようなトラブルが起きると、朝貢は
禁止になるのですが、この時は大きな外交問題には
なっていません。

という事は、琉球ばかりではなく、中国人側にも
過失があったという事になったのでしょうか、、

※参考文献 首里城王統紀 比嘉朝進 著



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