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尚巴志スピリッツ
てぃーだブログ › 尚巴志スピリッツ|尚巴志像を建てよう! › 尚巴志戦記 › ・尚巴志の合戦跡か?ティーチバナー(古戦場の跡)
三山に分裂していた琉球を統一した 偉大な英雄尚巴志 しかし、そんな尚巴志は、 実は殆ど県民に事績が知られていません。 事実、尚巴志の像は、沖縄県の どこを探してもありません。 尚巴志は、こんな人なんだよーと 説明しようにも現時点では、 その肖像は、個々人の頭の中にしかないのです。 徳川家康や、織田信長が、 複数の像を建立されているのに、、 琉球統一の英雄の像が一つもないのは 可哀想じゃないか!! そのような義憤から、私共は、 尚巴志王像建立期成会を組織し 尚巴志王ゆかりの氏子の皆様の 協力を得て是非にも偉大なる先祖の像を 建てようと活動しおります。 このブログを拝見された方で、 尚巴志像の建立に協力したい そういう方がいらっしゃいましたら コメントを頂けると幸いです。

2014年09月10日

・尚巴志の合戦跡か?ティーチバナー(古戦場の跡)


南城市佐敷字仲伊保ー花原には、
ティーチバナと呼称されている岩があります。
高さは、5・6メートル、周囲20メートルの石灰岩です。

昔は、この岩の下に多数の人骨が
晒されたまま散在していたそうです。

伝承によれば、人骨は610年前、

ここで、知名之比屋という豪族と
尚巴志が一戦交え、
知名之比屋の軍勢が破れた場所で、
人骨は戦没者のモノ
という中々凄惨な話があります。

別の説では、この岩の下が亡きがらを
風葬する場所として使われていたという説
或いは、身よりがない無縁仏を、
共同墓地として、この岩の下に
安置していたという説も存在します。

屋比久の上屋比久門中や
外間の志茂門中が清明節に
ここを拝んでいた拝所でもあります。

因みにティーチバナーとは、
ティーチバナリ(一つ離れている岩)という
うちなーぐちが訛ったものであると
言われています。


・尚巴志の合戦跡か?ティーチバナー(古戦場の跡)





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Posted by 尚巴志スピリッツ at 23:05│Comments(0)尚巴志戦記
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