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尚巴志スピリッツ
てぃーだブログ › 尚巴志スピリッツ|尚巴志像を建てよう! › 琉球の歴史 › 薩摩の琉球侵略の根拠とは?
三山に分裂していた琉球を統一した 偉大な英雄尚巴志 しかし、そんな尚巴志は、 実は殆ど県民に事績が知られていません。 事実、尚巴志の像は、沖縄県の どこを探してもありません。 尚巴志は、こんな人なんだよーと 説明しようにも現時点では、 その肖像は、個々人の頭の中にしかないのです。 徳川家康や、織田信長が、 複数の像を建立されているのに、、 琉球統一の英雄の像が一つもないのは 可哀想じゃないか!! そのような義憤から、私共は、 尚巴志王像建立期成会を組織し 尚巴志王ゆかりの氏子の皆様の 協力を得て是非にも偉大なる先祖の像を 建てようと活動しおります。 このブログを拝見された方で、 尚巴志像の建立に協力したい そういう方がいらっしゃいましたら コメントを頂けると幸いです。

2014年09月09日

薩摩の琉球侵略の根拠とは?

どのような事にも、大義名分というものがあり、
それは侵略のようなものも例外ではありません。

1609年、薩摩、島津氏が琉球に兵を出したのも、
「徳川幕府に挨拶にも来ない無礼な琉球を懲らしめる」
というのが表向きの理由でした。

実は島津は、1441年に室町幕府の将軍
足利義教(よしのり)から、褒美として
琉球を与えられたという話を
琉球討伐の理由としています。

足利義教には、大覚寺義昭(よしあき)という
弟がいましたが、これが謀反を起こしました。

この時に島津忠国が、五将を派遣して、
義昭を討ち、その首を京都の義教まで
送り届けたのです。

義教は、これに気を良くして
忠国に琉球を与えたというのが
島津氏が主張した事で、
これを嘉吉附庸説(かきつ・ふようせつ)と言います。

嘉吉は年号で、附庸とは(保護する)という意味です。

ただ、今日ではこれは、元ネタが、
島津氏の文献のみで、同じ事を記した
幕府の公文書が存在しない事から、
琉球侵略を正当化したい島津氏の
捏造であるとされています。

薩摩の琉球侵略の根拠とは?


仮に、足利義教が、琉球を与えようと
言った所で当時の琉球は、
室町幕府に服従していたわけでもないので
全く、琉球を征服できる根拠にはならないのです。


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Posted by 尚巴志スピリッツ at 00:40│Comments(0)琉球の歴史
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