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尚巴志スピリッツ
てぃーだブログ › 尚巴志スピリッツ|尚巴志像を建てよう! › 尚巴志の血族 › 八重瀬按司に滅ぼされた尚巴志の親戚
三山に分裂していた琉球を統一した 偉大な英雄尚巴志 しかし、そんな尚巴志は、 実は殆ど県民に事績が知られていません。 事実、尚巴志の像は、沖縄県の どこを探してもありません。 尚巴志は、こんな人なんだよーと 説明しようにも現時点では、 その肖像は、個々人の頭の中にしかないのです。 徳川家康や、織田信長が、 複数の像を建立されているのに、、 琉球統一の英雄の像が一つもないのは 可哀想じゃないか!! そのような義憤から、私共は、 尚巴志王像建立期成会を組織し 尚巴志王ゆかりの氏子の皆様の 協力を得て是非にも偉大なる先祖の像を 建てようと活動しおります。 このブログを拝見された方で、 尚巴志像の建立に協力したい そういう方がいらっしゃいましたら コメントを頂けると幸いです。

2014年09月15日

八重瀬按司に滅ぼされた尚巴志の親戚

大城按司真武は、南山の豪族で
大城城を拠点にしていました。
童名を思武太(うみんた)と言ったそうです。

尚巴志の祖父の鮫川按司が
大城城下で魚売りをしていた頃、
その人物を見抜いて娘を与えたというのが、
この大城真武の父か祖父かであり、
ここから、尚巴志と大城真武は、
遠い親戚という事になります。

ただ、佐敷上城の尚巴志より、大城真武の大城は
名前の通り、大きな城で勢い盛んだったようです。

しかし、それだけにプライドが高く、
南山王国を乗っ取る程の勢力を誇っていた
八重瀬按司とは激しく衝突する事になります。

南山の諸将の中で、大城真武だけが、
八重瀬按司に従わなかったので八重瀬按司は、
これに無理難題をふっかけて
戦に引きづり込もうとします。

最初は自重していた大城真武ですが、
流石に我慢できなくなり、八重瀬按司と断交、、

両者は、南山の覇権を巡り天下分け目
の決戦を行います。

戦争は、当初互角でしたが、
次第に大城軍が優勢に推移し、
八重瀬軍は敗走を開始しました。

しかし、勝ったと思った大城軍の
本陣の旗持ちが喜びの余りに旗を倒してしまい
それにも気づかずうかれていました。

それを見た大城城では、自軍の旗が倒れたので
「戦には負けたのだ」と思いこんでしまうのです。

大城按司の妻子は、城に火を放ち、
幼い息子、真宗を家来に託した真武の妻は、
自害、一族もそれに倣い全滅します。

大城軍は、ここに至って初めて
城が燃えているのに気が付きます。

動揺した大城軍を見た八重瀬按司は、
勝機到来と、逃げている兵を集め直して
再び、大混乱している大城軍に突撃、、

勝っていた大城軍は全滅して、
滅亡してしまいます。


大城真武は、燃える城を拝んでから、
自害してしまいました。

それから、歳月が流れてのち、
息子の真宗は生き残り、
八重瀬按司を父の仇として
尚巴志と共闘して島添大里城を
攻撃して撃破し親の仇を討っています。



八重瀬按司に滅ぼされた尚巴志の親戚




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Posted by 尚巴志スピリッツ at 17:34│Comments(0)尚巴志の血族
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