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尚巴志スピリッツ
てぃーだブログ › 尚巴志スピリッツ|尚巴志像を建てよう! › 琉球の歴史 › ・混乱の元 第一尚氏と第二尚氏
三山に分裂していた琉球を統一した 偉大な英雄尚巴志 しかし、そんな尚巴志は、 実は殆ど県民に事績が知られていません。 事実、尚巴志の像は、沖縄県の どこを探してもありません。 尚巴志は、こんな人なんだよーと 説明しようにも現時点では、 その肖像は、個々人の頭の中にしかないのです。 徳川家康や、織田信長が、 複数の像を建立されているのに、、 琉球統一の英雄の像が一つもないのは 可哀想じゃないか!! そのような義憤から、私共は、 尚巴志王像建立期成会を組織し 尚巴志王ゆかりの氏子の皆様の 協力を得て是非にも偉大なる先祖の像を 建てようと活動しおります。 このブログを拝見された方で、 尚巴志像の建立に協力したい そういう方がいらっしゃいましたら コメントを頂けると幸いです。

2014年08月26日

・混乱の元 第一尚氏と第二尚氏

琉球史を複雑にしているのは、
第一尚氏と第二尚氏という数字の連続性がある
二つの王朝の存在です。

しかし、この第一尚氏と第二尚氏の分類は、
歴史学的に根拠がある事では全くありません。

そもそも、この二つの王朝には、
血統の共通性も無ければ
王朝を構成している人物も全く別、、
赤の他人王朝なのです。
・混乱の元 第一尚氏と第二尚氏



では、どうして赤の他人王朝に、
第一、第二という連続性がある数字が振られたのか?
それは、第二尚氏の始祖である金丸が、
第一尚氏の姓である「尚」を勝手に名乗ったからです。

金丸は中国から冊封を受けて王になるに際し
自分がクーデターを起こして以前の王朝を
滅ぼした事を中国に責められるのを恐れました。

そこで、先代の尚徳王の息子が自分と偽り
尚姓を継いで、シレッと王になったのです。
尚徳王は、29歳とも40歳とも言われますが、
その時に金丸は54歳でした。

息子が父親より年上とは前代未聞です。

この金丸の方便で後世の歴史家は
混乱し、全く血縁の無い
二つの尚氏を第一、第二と分けてしまったのです。

これは、豊臣家を滅ぼして天下を取った
徳川政権を第二次豊臣政権と呼ぶ位に
トンチンカンな事です。

この紛らわしさを解消する為に
第一尚氏は、創建者の尚巴志の
故郷、南城市佐敷から取り

「佐敷王統」

そして、佐敷王統を滅ぼした、
金丸の王統を金丸の出身地である
伊是名島から取り、


「伊是名王統」と呼ぶ事にします。


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Posted by 尚巴志スピリッツ at 10:20│Comments(0)琉球の歴史
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