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尚巴志スピリッツ
てぃーだブログ › 尚巴志スピリッツ|尚巴志像を建てよう! › 琉球の歴史 › ・琉球が奄美制圧にこだわった理由
三山に分裂していた琉球を統一した 偉大な英雄尚巴志 しかし、そんな尚巴志は、 実は殆ど県民に事績が知られていません。 事実、尚巴志の像は、沖縄県の どこを探してもありません。 尚巴志は、こんな人なんだよーと 説明しようにも現時点では、 その肖像は、個々人の頭の中にしかないのです。 徳川家康や、織田信長が、 複数の像を建立されているのに、、 琉球統一の英雄の像が一つもないのは 可哀想じゃないか!! そのような義憤から、私共は、 尚巴志王像建立期成会を組織し 尚巴志王ゆかりの氏子の皆様の 協力を得て是非にも偉大なる先祖の像を 建てようと活動しおります。 このブログを拝見された方で、 尚巴志像の建立に協力したい そういう方がいらっしゃいましたら コメントを頂けると幸いです。

2014年08月08日

・琉球が奄美制圧にこだわった理由

硫黄鳥島は、地図で見てもらうと分かる通り、
沖縄本島の北に位置する火山島です。

ここは、古くから硫黄の産地として知られ
すでに1372年の明実録には、名前が出てきます。

察度王の時代以前には、人が住みつき、
それと同時に硫黄の採掘が行われました。

実は中国では、硫黄は殆ど取れず、
戦争で必要な火薬の原料として、
硫黄鳥島の硫黄は必要不可欠でした。

実際に、琉球は増減はあれ、
1372年から琉球処分の1879年まで、
貢物として送り続けました。

ここで、取れた硫黄は、泊港に運搬され、
崇元寺の西にあった硫黄蔵に納められていました。

第一尚氏の頃から、琉球は奄美や喜界島の
制圧に多大な戦費を費やしていますが、
その理由としては、硫黄鳥島の安定統治があります。

・琉球が奄美制圧にこだわった理由



1609年の薩摩侵略以降、
琉球は、本島以北の領地を失いますが、
進貢貿易に不可欠の為に硫黄俊島だけは、
琉球王府に残されています。


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Posted by 尚巴志スピリッツ at 01:23│Comments(0)琉球の歴史
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